珈琲とスナップと

スナップ写真を極めたい男のブログ。愛機や写真について、好き放題語ります。

Nikon Z50 はカメラらしいカメラ

 

今日は、昨年書きそびれたNikon Z50のレビューを少しばかり。

 

カメラがカメラらしいのは当たり前なんだけど、Nikon Z50はとにかく無駄のない、カメラらしいカメラだ。要は、家電ではない、長年ニコンが蓄積してきた道具としての良さを小さなボディにギュッと詰め込んだ、使っていてとにかくストレスがなくシンプルに良い画が撮れる、そんなカメラ。シャッターフィーリングも、少々もっさり感はあるものの、カシャリとわかりやすい響き。奇をてらってないボディデザインも、飽きづらい。

 

何でだろうな。他のメーカーのカメラがそうであるように、Z50も様々な遊べる色味(ピクチャーコントロール)を盛り込んでいるし、JPEGでも十分楽しめるカメラなんだけど、何故か何も味付けをせずにニュートラルな色味で撮ってLightroomで味付けしたくなる。そういう意味ではしっかりデジタルのメリットを享受しているわけだけど、操作感なんかはフィルム時代から受け継いだオーソドックスそのもの。よく富士のカメラが一番フィルムに近いような言い方をされるし、一つの側面から見るとそれは正しいんだけど、それはJPEGで完結するもの、とも言い換えられる。もちろんRAW撮りもOKなんだけど、せっかくならフィルムシミュレーション一発撮りで楽しみたくなる。一方でNikon Zにはこれと言った大きな特徴がないので、とにかくパシャパシャと撮って後で自分なりの味付けしたい。そんなイメージ。変な言い方かもしれないけど、富士がフィルム一発撮りのカメラだとしたら、ニコンは撮ったフィルムを後からベストな状態に仕上げているような感覚とでも言おうか。富士のように、撮ってる画は大したことなくても色味だけで「なんかいいなあ」と思わせるような力は、良くも悪くも持っていないカメラ。だからこそ、自分なりの味付けがやりやすいように感じる。

 

このカメラをフィルムっぽく感じる理由、それは2000万ちょっとしかない画素数も一つのそれだろう。Leica Q2の4700万画素のような、もはや撮った被写体そのものがそこにあるかのような圧倒的存在感、妖艶さ、セクシーさ、のようなものはなく、あくまでも「写真」を感じさせてくれる。モニターで見ていても、映像と言うよりは紙媒体というか、昔から慣れ親しんだ「写真感」がある。5000万画素のカメラを「新時代」と表現した人がいるけど、正にそれで、2000万画素にはそこにはない安心感、親しみがあるのだろう。

 

だから「普通」と言ってしまえばそれまで。でも、写真の原点に立ち返ろうと思ったらこれ以上のカメラはないんじゃないかな。操作性、最高。見た目はオシャレとかカッコいいじゃないけど、ちゃんと写真を撮ってる人という印象の良さ。今まで見たことないけど、ZfcじゃなくてZ50を首から下げてる女子がいたら絶対声かけたい 笑。チャラそうな男子でもZ50使ってたら「ああ、真面目な良い奴なんだろうなあ」って感じ。わかるかな?笑

 

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全てLightroomで編集済。16-50mmのキットレンズだし、どれも感動するような画ではないけど、なんか良いでしょ?って感じ。家族写真とか、小旅行写真とか、全部これでいいでしょ?って。最近出た18-140mmだったらさらに隙がなくなるだろうけど、あえて標準域だけで持ち歩くのもまた乙なもの。撮れないものは撮らなくていい、そんな風に思えるちょうど良いカメラ。

 

Zfcも良いけど、これから真面目に写真を撮っていきたいっていう人には個人的にはZ50、断然オススメです。